「傘をもたない蟻たちは」に関する備忘録(前編)
こんにちは。Twitterをアンインストールしてからいろんなエントリが書きたいなあとなりつつあるmiimoです。
たかが140字、されど140字に言葉を奪われ、というとおおげさですが持って行かれてたんだなあと感じます。
さて、そんなことはどうでもいいんです。
発売から早二ヶ月が過ぎ、今更こんなエントリを書くのはいささか時代遅れ感も否めないのですがあくまで「自分が初見時に何を感じたか」についての備忘録(既に忘れてる部分もあるけど…)という角度でこの作品についての感想、かな、そんなものを書きたいと思います。ネタバレがなんだ!というテンションですので見たくない人は自衛をお願いいたします。
またちょっと長いなぁと思ったのと一気に書き上げる元気がなかったので前後編に分けます。もしよろしければいずれ後編もちゃんとあげますのでそちらも併せて読んでいただけると幸いです。
全体を通して。
帯に書かれた「生きづらさを抱えた人々の痛みと希望を描く短編集」という言葉。こんなことをしょっぱなに書くのもどうかと思うが、「希望を描く???????」と思った。この作品に希望を感じるか?と。だが、読了後友人に勧めるコメントを考える時、こんなエントリを書こうとしている時、つまりこの作品を振り返った時。私の中を占めていたのはこの作品の痛みや苦味そのまま、ではなく、「ああ、それでいいんだ。」という安心感に似た柔らかい感情であった。
この作品は間違いなく「痛みと希望を描いた」ものであった。作者が、ポップカルチャーのアイコンであるとも言えるアイドルという職業を生業にしている、ということはもう今更加味することではないだろう。
また、痛みといってもそれは6編それぞれにおいて違った程度、角度の痛みであった。だからこそそれぞれにグサリと刺さり多量出血を引き起こしてしまうような痛みも、そんな傷をじんわりと癒してくれる痛みも、さっぱり分からない痛みも、それぞれあった。でも、それが、社会なのかもしれない。共鳴できる感情、想像もできない感情、揺さぶられる感情、いろんな感情が渦巻く中、私は、私たちは自分という存在として生きていかなきゃいけない。なーんて難しいことも考えるきっかけにもなった作品であった。
さ、総評(?)はこのくらいにして。まずただただ好みだけの話をしますと、私は「染色」が一番好きです。そして「イガヌの雨」が一番苦手です。
というわけでその苦手、な「イガヌの雨」の話からしたいと思います。ほら、もし万が一ご本人が見てたとしても苦手な話からするようなブログ見たくないでしょ?という意味が込められているかいないかでいうと込めてません、だって見てないでしょ←そりゃな
「イガヌの雨」が苦手だと感じた理由。
それは私個人にとってあまりにも痛い話だったから。
あまりにも痛い、というのは主人公・美鈴や彼女を取り巻く環境が「SF」と称される作品にも関わらずあまりにもリアルだったということ。
もういちいち「作者である加藤シゲアキさんは体験したことのない世代や職業のことも緻密に表現できる―」なんてこと書きません。わざわざそういう言い方で彼の作品を評するのはナンセンスな気がするからです。(かと言ってそう評される方をディスろうなんて気はさらさらないです。)
イガヌ、という三つ目の生物(?)が突如空から降ってくる。なんて狂気的な情景なのか。なんて現実離れした状況なのか。
口にするだけで多幸感につつまれ、悦楽に酔いしれる人々の表情からは、まるで、薬物をキメている人を見るような(見たことはないけれど)恐怖感を覚える。
だが、少し背伸びをして大人に近づきたい思春期の、友達に合わせて自分を抑圧して笑っていなければいけないと感じてしまう集団生活の、リアル。そんなものがそこにはあったように思う。
もしかしたら今そんな渦中に生きている私も、高校を卒業して、少しずつ大人になっていくにつれこの物語がリアルじゃなくなっていくにつれ、痛くなくなっていったら、好きになるのかもしれない。でももしかしたら、痛くあるからこそこの物語は私の中で存在しうるのかもしれない。
また個人的な身内の不幸とも重ねて読んでしまったせいでこんなにも苦手意識を持ってしまったのかもしれない、ということも併せて残しておこうと思う。
祖父の葬式の後、再び姿を現したイガヌはあまりに残酷で、その見た目とは相反してあまりに美しかったと私は思う。
ここからは掲載順に、熱量はばらばらに(笑)書いていきたいと思います。
「染色」
芸大とか美大とかの「大学なんだけどなんか他と違う」感じがもう、すごい。混沌としてる。知り合いの芸大生とか見てたらこんな感じ。美大はいないからわかんないけど。
そういえば、私はこの作品にいちばんのエロシズムを感じた。
「にべもなくー」の性描写が物語においてエッセンスであるとするならこちらの性描写はアクセントであったように思う。アクセントはなくても構わないが、入れることによってより深くきつくエグく、読者に刺さる。そのような役割を果たしていたように思う。
また、この作品は美優の描くもの以外全ての色彩が抑えられていたように感じた。それはあくまで、私の脳内映像になるにあたっての演出だったのかもしれないが。
色に染まる、者と、色に染める、者。自分よりはるかに強烈な色を持つ者に染められるのは、苦しい。でもそれはとてつもなく快楽的なことなのかもしれない。
そして、顕著な色に触れて生きることができるのはごく一部で、それこそ私の脳内映像でモノクロ再生された者たちこそマジョリティーであり彼らにも少なからず色は存在してはいること。だがそれは誤解を恐れずに言うと、微細なものであるということ。
私は色を持った人間になりたかった、色を持たない人間であることを深く知らしめられた。「染色」はとても辛く苦しく官能的だった作品だったと思う。
「Undress」
えーっと。分からない話だった。それは、もちろん私がこの物語を再生するにあたっての素材を持っていなかったから。
だからただただ作品として、すごく怖かった。もしこれがリアルなのだとしたら大人になりたくないと思った。ただでさえこじらせているピーターパン的思考を余計にこじらせられた気がする(笑)
サラリーマン版アウトレイジ、というのを聞いたことがあるが、まさにそれ。アウトレイジ見てないけど。(え)
数年後の私、現実はこんなに殺伐としてないよって教えに来てください。実際このくらい殺伐としてるなら来なくていいです。うん、咀嚼できてない物語の感想書くの難しい。
ただこの男だらけ、現実をつきつけまくる物語の中に出てくる突然のスピリチュアル要素の「エンジェルナンバー」。これはまさに女子が好きそう、かつ、物語をより劇的に進めるキーとなったのではないのかと思う。揃ったエンジェルナンバーだけでなくあと少しで揃わなかった数字(11時13分、など)にもなにか意味があったのではと深読みしたくなる構成。
謎解き要素はこの「Undress」と「インターセプト」に強く感じられたが、後者との明確な違いはこちらは答え合わせがない、ということ。
そして最後の一文を、希望と見ることも絶望と見ることも許されないような、後味の悪さ。「Undress」は物語性を深く持っているにも関わらず物語ではなかったような、その、これが結末、といったものの存在の介入を許されない連続性の切り取りだったように感じる。
ああー、スーツ着たくねえーーーー!なんてね。(笑)
前編はここまでで終わりたいと思います。
文章力ないのにここまでガチに書いたせいで小っ恥ずかしく、また読みにくいエントリになりましたがあくまで備忘録なので…はい。読んでくださっている方が1人くらいいたらいいなぁーと。いや、1人はいてくれないと困る。(友人に書けと言われて書いているので)
長々と失礼しました。また後編と称して残りの感想もあげたいと思います。ここまで読んでくださったみなさまありがとうございました。