ただ加藤シゲアキさんにエスコートされたいだけの奴の戯れ言。

 
私は、加藤シゲアキさんにエスコートされたい。
スコートされたいし、いざなわれたい。
 
そして、
小山慶一郎さんには、呼ばれたい。英語にするならinviteされたい。
 
増田貴久さんには、手を引かれたい。(ちょっと行き過ぎた?)英語?英語にするなら〜うーん、3人目にして挫折。
 
手越祐也さんにはー・・・うーん、(笑)なんてね、さそわれたい、です。もう英語については忘れてください。
 
 
 
なんの話だって思ってもらえたらなんかちょっと嬉しいんですけど。
なんとなく、ですよ、なんとなく、同じ意味の言葉でも印象って違うじゃないですか。
それだけの話です。
 
 
加藤シゲアキさんにエスコートされたいだけの人生だった」と頻繁にいろんなところで言っているのですが(ガチ)
じゃあ私はなんで「加藤シゲアキ」さんに「エスコート」されたいのか、とか、ね。考えてみたんです。そりゃあ、もちろん某ホテルマンが過ぎるから、もありますよ(笑)
でも加藤シゲアキさんに「さそわれたい」かと言えばちげえなあ、なんてお友達と話しまして。
 
「それぞれに似合う動詞探すか!」
となりました次第にございます(笑)
 
私なりの答えは上に書いているままだし、ひとつひとつ理由を書いていくのも少しばかりナンセンスな気がするので、ひとつ面白いなあって思った言葉について書こうと思います。(このままだとどんな短文だよってなるし←)
それは「誘う」という言葉。
さそう、も、いざなう、も平仮名に落とした理由は言わずもがなでしょう。
でも同じ漢字でここまで受ける印象が違うんですよね、読み方だけで。
 
だって「いざない月」が「さそい月」だったらやじゃないですか??うっわチャラいな〜って(笑)そんなことはないか。
 
「彼女は私を食事にさそった」が「いざなった」になったらなんかすげぇヤバイご飯にお呼ばれしてそうだし(小並感)え?そんなことない?ありゃ。
 
いやまあ私が勝手に思っただけなんです。ぜーんぶそうなんです。
気にしない人からすれば、エスコートされようが誘われようがお呼ばれしようがなんだっていいと思うんだろうし、たぶんそういう人の方が人生は楽しいんだろうと思う。(急にどうしたの)
 
でも気になってしまったから、しかもブログに書いちゃうくらいの熱量込みで気になってしまったから、書いちゃいました。
読んでくださってる人が2、3人いて、その人たちもこんなくっだらねえことを気にしてたとしたら私はちょっと嬉しいです。
 
よかったら他の言葉でも考えてみてください。
 
意味のわからないエントリですいませんでした!そのうち傘蟻の感想書きます!(遅くね)